落ち込んだりもしたけれど、私は元気です。
ようやく、落ち着いてきました。あの涙の胴上げから数日魂が抜け、戻ってきてからは1人になるとメソメソ泣いていました。
とりあえず、まずはじめに。岡田さん。元監督。本当に本当にお疲れ様でした。まずはゆっくり身体を休めて、のんびり魂の洗濯してください。そして選手たちに。もう秋季練習はじまってますね。新しい監督、コーチの下、今年の悔しい涙を、来年こそは。
私はといえば、未だにあの憎憎しいオレンジの選手たちはまともに見れません。したがって、WBCのニュースも一切見れません。他チームの選手たちは素直に応援できるのになぁ。WBCも応援できるかな。早いトコ切り替えなきゃ・・・ね。
久々の日記は、岡田阪神の五年間を(間違って覚えてるかもしれませんが)つらつらと書いてみようかと思います。
1年目。星野元監督から引き継いだタイガース。優勝の翌年とあって、私はかなり期待してました。開幕の巨人戦、見事に3タテを食らわし、監督からはこの言葉が。
「期待してもらって結構です。」
しかし、次の横浜戦は3タテを食らい、結局この年は4位。ファンの間からは「暗黒時代の到来だ」という声が聞こえました。吉田監督の時も優勝の翌年は4位でしたしね。
2年目。交流戦がスタート。今は2試合ずつの対戦ですが、この年は3試合。北海道まで遠征に行きましたが、私たち家族が見た1試合のみ日ハムに負けました^^;岡田監督はひょっとしたら予言していたのかな。球団70周年のこの年、「球団の○○周年って時は、優勝する」といっているのをなんかの雑誌で読んだことがあります。この年、中日と記憶に残るデッドヒートを繰り広げ、9月7日の劇的な勝利で流れは完全に阪神に。巨人を相手に甲子園で勝利を収め、岡田監督の胴上げとなりました。時々、日記のタイトルに使っていた「ほな、いこか。」は、優勝した時デイリーに乗っていた岡田監督の台詞でした。グラウンドで喜ぶ選手たちを眺めた後、「ほな、いこか」とコーチたちを促しグラウンドにむかったそうです。本当かどうかは分かりませんが^^;岡田監督が選手たちによって自然に出来た花道をとおり、小躍りしながら選手たちの真ん中に行ったのが印象的でした。JFKが確立されたのもこの年。この年はまだ守護神が藤川投手ではなく、久保田投手でした。
3年目。中日、落合監督を優勝のお立ち台で「阪神の追い上げがすごくて怖かった」と泣かせてしまったくらいの怒涛の追い上げを繰り広げた阪神でしたが、及ばず2位。この年も、「まだまだ諦めない!」と応援していた私に「とどめ」をさしたのは、ウッズ選手のホームランでした。そしてこの試合で阪神のシーズンは終了しました。
4年目。クライマックスシリーズの制度がセリーグにも入ってきたこの年、阪神は3位どまり。クライマックスシリーズでは2位の中日に一度も勝つことが出来ず、なんともあっさりとこのシーズン終了でした。
そして5年目。前半は物凄いぶっちぎりでした。連敗ストッパーの新井選手も大活躍。・・・8月までは。まぁ・・・新井選手の骨折の話を聞いたときはこんな感じでした。→http://ochichan.exblog.jp/8922598/
まだまだ書き足りないので・・・。また時間があるときに続きを^^;
今宵はここまでに致しとうございます・・・。
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