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自分のことを徒然と。頑張れタイガース!!

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「ひと夏の犬」と「昨日の次の日」
 私のHPに、頂き物のフラッシュを2点、載せました。人間のモラルというものを考えさせられました。 そのフラッシュの名前は「ひと夏の犬」と「昨日の次の日」。
 二つとも、犬を題材にしたフラッシュです。フラッシュが訴えていること、考えて生きたい問題です。

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  posted by at 21:37:03 │EDIT
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備忘録───お見合い記念日

  posted by さかな at 23:32:20 │EDIT
 お見合い記念日は、実はというと昨日でした。

 ・・・ノロケ話になると思いますので、続きを読みたい方は「つづきはこちら」を押してください^^;

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備忘録───次男妊娠②

  posted by さかな at 09:39:27 │EDIT
 前回の続きです。切迫流産で入院した時、お医者さんの話をきちんと聞いていなかったので、突然手術という話に動転してしまいました。

 長男を出産した時、取り上げてくれた助産婦さんが手術前の準備に来てくれました。結局、それまで何度か看護婦さんに聞く機会があったのですが聞くタイミングを外し続け、まだ手術する理由を知らずにいたのです。
「じゃあ、明日手術ですからね。心配そうな顔してるけど大丈夫よ。」
と準備を終えて声をかけてくれたので、今がチャンスと聞いてみました。
「手術って、どんな手術ですか?どうして私手術受けなくちゃいけないんでしょう?」
 えっ?という顔をする助産婦さんに、必死に理由を話しました。入院する時、流産という言葉に動転してしまってお医者さんの話をきちんと聞けなかったこと、血が止まったら退院できると思っていたこと、その後何の説明もないまま今日になってしまったこと。
「そうだったの。ちゃんと説明してなくてごめんね。」
 助産婦さんが悪いわけではないのに、謝ってくれて、それを聞いた私はようやく聞ける安心感からかボロボロ泣いてしまって・・・。泣き止むのを待って、助産婦さんが教えてくれました。
 前置胎盤で赤ちゃんの出口に胎盤がかかっていること、そしてその赤ちゃんの出口が開きかかっていること。今回の手術は出口を糸で縛って出産時期まで開かないようにするということ。手術は麻酔を使うけど、中の赤ちゃんも一緒に眠ってしまうので大丈夫なこと、妊婦さんにも安全な麻酔を使うこと。助産婦さんは私のそばに座って静かな声でゆっくり説明してくれたので、私も十分理解して安心することが出来ました。
「私も手術にはちゃんと付き添ってあげるから。安心していいよ」
とまで言ってくれて、私は宜しくお願いしますと頭を下げました。

 いよいよ手術。盲腸の手術すら受けたことの無い私は、ベットに仰向けになり、ドラマで見るような照明を見上げて緊張してくるのがわかりました。約束どおり助産婦さんが横にいて、手を握ってくれていました。
「じゃあ、麻酔をします。看護婦さんの後について数を数えてください。」
 看護婦さんが1と言ったら、後に続いて1と言い、看護婦さんが2、私が2、看護婦さんが3、私が3・・・・とずっと数えていって、8まで数えたのは覚えています。でも助産婦さんが言うには17まで私は数えていたそうです。気が付くと病室で、隣には旦那がいました。
「お腹の赤ちゃんも大丈夫だって。今度こそもうすぐ退院できるよ」
と旦那に教えてもらって、すごく安心して涙が出てきたのを覚えています。
 張り止めの点滴から薬に変わり、病室内の歩行から食堂などへ歩いていけるようになり、病室での1人きりの食事から子供を産んだばかりのお母さんたちと食べれるようになって、食事の時間が楽しくなりました。お母さんばかりではなく、妊娠悪阻で入院している人、何故入院しているのかは聞けなかったけど、何らかの理由で入院している人、いろいろなお母さんがいました。でも、どのお母さんも笑顔が見えて、お互い頑張っていきましょうねと励ましあっていました。
 
 今はすごい悪がきになって、ことごとく私のいうことに反発し、反抗し、「お母さん意地悪や!」という次男ですが、素直な時は素直ないい子です(親ばか?)。あの時夢に出てきた青年のように細くて釣り目な次男。あの夢はきっと毎日血が止まらないと心配していた私にお腹の中から送ってくれたメッセージだと思っています。あの時みたいに、もう少しやさしくなってくれたらなぁと思いますが、それは贅沢な悩みなんでしょうか。

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備忘録───次男妊娠①

  posted by さかな at 23:48:52 │EDIT
 次男を妊娠したのは、長男が退院してしばらくしてからでした。妊娠が分かった時は、年子で欲しかったし、嬉しかったです。二人目の妊娠ということもあり、妊娠期間中の流れは分かっていたつもりでした。でも、妊娠期間というのは思いもよらないことが起こるものなんです。

 それは、まだ安定期に入る前、妊娠4ヶ月の頃でした。会社勤めをしていた私は、いつもどおり出勤し、いつもどおり仕事をこなしていました。何気なくトイレに行ったとき、下着に妊娠中には起きてはいけないくらいの出血をしていることに気が付いたのです。落ち着こう、とりあえず事務所に戻って訳を話して病院に向かおう。そう思っていると、さらにボタボタと血の落ちる音。便器はすでに真っ赤。落ち着いてなどいられませんでした。取り乱した状態で事務所に戻り、必死に同僚に何か叫んだのは覚えてます。同僚は「どうしよう、どうしよう」と泣き続ける私を必死になだめ、車を出してくれました。病院でも他の妊婦さんより先に見てくれて、私はお医者さんの前に座りました。
「切迫流産です。すぐ入院ですよ」
 流産。その言葉の重さにショックを受けて、その後のお医者さんの説明は全く聞こえてませんでした。唯一聞こえてたのは「赤ちゃんは大丈夫ですよ。」ということ。その後看護婦さんと一緒に病室に入り、すぐに点滴。たって歩くのはダメ、トイレもダメ。許されていることはテレビ、読書、睡眠、食べること。毎日不安で、毎日怖くて、胎動を感じる時期にはまだ早く、毎朝の健診で看護婦さんに出血が止まっているか聞くと、力なく首を横に振られて。ただ、ひどい出血ではなくて量は確実に減っているからと言われて、血が止まったら退院、血が止まったら退院と呪文のように毎日繰り返して日々を過ごしていました。
 そんなある日、夢を見ました。
 私は一人の青年と一緒に何かから逃げてるんです。車、バイク、いろいろ使って必死で逃げるのですが、ついに追い詰められてしまいました。目の前には壁のような崖。振り返ると追っ手はすぐそこ。私と青年は崖を登り始めました。雨が降った後なのか、どろどろとぬかるむ足元。草を掴もうとしても滑って掴めず、必死で爪を立てて登っていきました。必死で登りきると、吹いていたのはさわやかな風。青々と広がる草原。青年はすでに登りきっていて、気持ちよさそうに風を受けていました。そして、私を振り返って言ってくれたのです。
「もう大丈夫だよ」
って。目が切れ長で、例えるならGLAYのボーカルのTERUのような目。ああよかった、助かったんだと安心したところで目が覚めました。

 目を覚ますといつもの天井、ちょうど健診の時間。看護婦さんがついに待ち望んだ言葉を言ってくれました。
「あら、出血止まったよ!よかったね!!」
 ああよかった、きっとお腹の子供が知らせてくれたんだ。これで退院できる、普通の生活に戻れる!お医者さんも
「これでとりあえず一安心です。お部屋の中なら歩いてもいいですよ」
後は点滴が外れるのを待つだけ。もうすぐ退院だ。そう思っていたら、続いて出てきたお医者さんの台詞は。
「手術の日にちはまた決めましょう。でも早いほうがいいでしょうからね」
 ・・・手術?なんで?妊娠してるのに手術していいの?とういうかどうして私が手術受けなきゃいけないの?お医者さんも看護婦さんもいなくなった1人だけの病室で、今度は手術を受けるという問題に途方に暮れてました。

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備忘録───長男入院生活

  posted by さかな at 23:22:49 │EDIT
 前回の備忘録の続きでございます。生後1ヶ月で入院生活となりました長男。川の字で眠っていた寝室で、主のいない小さな布団を見るたび涙が出ました。もっと早くに気付いてあげられればと自分を責めたりしました。
 生後1ヶ月で産休が終わってしまうので、会社に連絡し、子供の状況を話して休みを延長してもらうよう頼みました。総務課の課長さんは快く許してくれて、子供が全快するまで休んでいいと言ってくれました。

 長男が入院した『新生児集中治療室』は、総合病院の中の『未熟児センター』の中にありました。一つの部屋に赤ちゃんが入るケースが沢山置いてあって、それぞれの赤ちゃんに心拍数などを表示する機器がついています。なかには水槽のような密閉式のケースに入れられた、小さな小さな赤ちゃんもいました。身体に不釣合いなオペラグラスのような大きな眼鏡を固定され、紫色の光を浴びてました。いつもお父さんがビデオ片手に撮影していて、一度だけお母さんが来てました。看護婦さんに付き添われて辛そうでした。保育器の前に座ってお父さんと一緒に子供を眺めていて・・・。喉やお腹に直接管を通された赤ちゃんもいました。
 そんな中、ひときわ元気な泣き声の長男。看護婦さんが参ってました。普通の赤ちゃんはお腹すいて泣いてもしばらく泣くと泣きつかれて眠ってしまうそうなんですが、長男は決して泣きやまず、もらえるまで泣いていたそうです(ちなみにこの時、心臓に負担がかかるからと飲めるミルクの料はたったの80mlでした)。
「頑固な赤ちゃんよ~~。お母さん大変だわ。退院したら頑張ってね」
なんて看護婦さんに励まされました^^;
 入院中、一度だけ発作もありましたが(このときのお医者さんと看護婦さんの連携は見事でした。無事に数秒で発作は止まりました)、お医者さんの了解も出て数回の外泊の後、入院してからほぼ1ヵ月後に退院することが出来ました。笑顔が出始めたり、1人で遊べるようになったりと一番いいシーンは看護婦さんに先に見られてしまいましたが^^;その後は独占できましたし。その後月に1回の通院は必要でしたが、我が子を家に連れて変えれる嬉しさのほうが大きかったです。
 退院のとき、看護婦さんに聴診器を渡されて
「育児は睡眠不足との闘いでもあるから。頑張ってね」
と励まされました。家でぐずって泣くたびに聴診器で心拍を確認し、お風呂からあげるたびに心拍に気を配り。そのうちに聴診器で聞くより直接胸に耳を当てて確認したほうが早いことに気が付いて、聴診器はタンスの置くに引っ込んでしまいました。
 でも、時々聴診器を見つけるたびにあの大変だった頃を思い出します。もし、自ら命を絶とうとするようなことがあれば、私はこの話を子供にするつもりです。
『あなたの命を守るために、沢山の人がかかわって、必死であなたの命を守ったんだよ。お母さんもお父さんも走り回ったんだよ』
って。

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備忘録───長男、生後1ヶ月

  posted by さかな at 23:09:13 │EDIT
 この話はネット上でするの何度目だろう?ひょっとしたら目にしたことがある人もいるかもしれません。でも、長男のことで、これだけは忘れちゃいけないこと。

 生まれて1ヶ月。最初に長男の異変に気が付いたのは私の母親でした。買い物の間長男を見ていてくれた母親が、私に言ったのです。
「この子、なんで肩で息するの?」
びっくりして子供を見ましたが、普通に息をしていて、スヤスヤ眠っていました。でも、このときから妙な不安が湧き上がりました。
 子供が生まれてからノートをつけ始めました。何時にミルクをどれくらい飲み、その時のオシッコの量、ウンチの量がどれくらいだったか。その時に気付いた一言メモと一緒に。そのあたりから、オムツを開けるたびにしていたウンチがとまり、おしっこの量も極端に減りました。体に、寒いときに出てくるような網目の模様が出てきてます。寒いのかな?と思って手足を触ると、本当に冷たい。お風呂に入れても手足はずっと冷たいんです。夜中も不安は増大しました。いつもなら夜はまとめて眠ってくれる子だったのに、2・3時間ごとに起きてはぐずります。泣き方もいつもとは違う。旦那はいつもと一緒だと言うけれど、辛そうに泣くんです。ミルクをあげても一口も飲まずに眠ってしまい、オムツを開けてもウンチもオシッコもしていない。子供の泣き声と、増えてくる不安で眠れない夜を過ごしました。

 翌朝。ちょうど生後1ヶ月の前日でした。泣くのも赤ちゃんの仕事だからと不安げな私を慰めて仕事に行った旦那を見送り、そろそろ授乳の時間だからとミルクを上げると、一口飲んだだけで、飲んだ量の倍吐き出しました。慌てて母に連絡をとり、時間をあけて母がミルクを飲ませると、飲んでもないのにまた吐き出しました。しかも、今度は吐いたミルクに血が!!もう座ってられず、明日も待っていられず、はじかれるように子供と母子手帳を抱えて母親に車を運転してもらって健診を受ける病院へ。
 ところが、そこの先生は一通りの健診をすませ、そして私に
「順調です。何の心配もありません」
と。
ウンチがとまってる、おしっこの量も減ってる、ミルクを吐いたときに血まで吐いた!!血を一緒に吐いたのは、きっと喉が吐いたときに切れたんでしょう、気にするような出血じゃありませんよ。と言う先生にそれでも一生懸命訴えると、レントゲンをとり、今度は「腸重積の恐れがあります」と言われ、紹介状をもらって総合病院へ。
 病院受付で子供をクーファンごとイスの上に置き、小児科への手続きをしてもらっていると、子供の顔を覗き込んだ知らないおばあさんが
「あらぁ、綺麗な顔」
と一言。褒められたと思ってちょっと嬉しくなって顔を見たら、もう青白いを通り越して血の気の無い、透き通るような色。もう無我夢中で、もらった紙を握り締めて子供をかかえて小児科へ走りました。正直その後記憶が飛んでしまってるんですが、気付くと子供が先生に診てもらっているところでした。先生はわが子を見て一言、
「こりゃいかん」
てきぱきと看護婦さんに指示を出し、いつの間にか入院と言うことになってます。動揺する私に、先生が聴診器を渡して「聞いてみてください」って。聞いても私には聞こえませんでしたが、脈拍が300(!!)まであがっていたそうです(普通の赤ちゃんは130~150)。先生が言うには、その「肩で息をしていた」あたりから脈拍が跳ね上がって、丸1日、その状態だったと。大人にしてみれば、100mダッシュを24時間していたのと同じだとか。もう一日遅かったら駄目だったでしょうね、といわれて、腰が抜けそうでした。
 看護婦さんが子供を抱っこして早足で歩き出し、私も慌てて後を付いていきました。
「お母さん、後からゆっくり来てもらっていいですよ」
と看護婦さんには言われましたが、ここで離れてしまったら子供が手の届かないところに行ってしまいそうで、必死で追いかけました。
 ここで待っていてくださいね、と行って看護婦さんは『新生児集中治療室』の中へ。イスはあったけど、座っていられなくてそこでウロウロしながら中の様子を伺ってました。駆けつけた主人に今までのことを説明していると、中から我が子と思える子供の泣き声が・・・。
 夫婦2人、ウロウロウロウロしながら待っていると、ようやく看護婦さんが中に招き入れてくれました。手を洗い、消毒し、粘着マットの上を歩き、白衣を着て中へ。中には、保育器に入った小さな子、体中に管を沢山つけた子がいて、その中に長男もいました。保育器の中で、手足をバタバタ動かし、周りを不安げに見回す長男。手の甲と足の甲に、すぐに点滴が出来るように針を刺し、簡単には外れないように包帯で固定されてました。胸には心電図をとるためのシールが張られていて、見ただけで涙が出そうでした。
 そしてようやく先生から正式な病名を知らされました。長男はWPW症候群という病気をもち、今回起きたのは上室性頻拍症という発作。この発作があまり起きないようであればしばらくの入院でいいけれど、頻繁に起きるようであれば外科手術も必要とのこと。覚えてることはこれくらいで、もうほとんど呆けてて子供が助かったってそれだけでもう満足で、まったく先生の話が頭に入ってきませんでした。
 しばらく入院ですよ、と言われてちょっとショックでした。でも彼がここにこうして生きているのが本当に嬉しかったんです。しばらく子供を眺めてから、病院を後にしました。この後毎日病院通いが始まりました。

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備忘録───出産

  posted by さかな at 22:09:04 │EDIT
 ようやく授かった我が子。この子が長男です。妊娠時期、私が交通事故を起こしてしまったり、前置胎盤で出血があり、1週間の自宅安静になったりはしましたが、順調に経過。そしていよいよ予定日!
 ・・・のはずなのに、全く兆候が無い。その日に健診にも行ったのにお医者さんには「まだまだだねぇ」なんて言われてしまうし。予定日から1週間経過。その日の健診でも「まだ全然ダメ」とのこと。看護婦さんに「お母さんのお腹の中が居心地いいんだね、いいお腹なんだよ」と言われて少し気が軽くはなったものの、「来週もこの調子なら入院して出産ですよ」とお医者さんに言われ、再び不安に。注射を1本打って家に帰り、旦那とウォーキング開始。するとウォーキングが効いたのか注射が効いたのか、その夜はじめての陣痛が!!喜び勇んで入院し、内診を受けたところ、「全く開いてないねぇ・・・小指の先ぐらい?」とのこと。陣痛も前駆陣痛といわれて・・・実際本当に明け方には陣痛が引き、夕方には笑いながら旦那と『クレヨンしんちゃん』見て笑ってました。こんな状態で入院してていいんだろうかと不安になっていた頃。
 真夜中に再び陣痛開始。昨日の夜の陣痛とは比べ物にならない痛みが波のようにやってきます。何度も分娩室には向かうものの「まだまだ痛みが強くならないと出産できません」の言葉でまた部屋に戻るの繰り返し。助産婦さんがやってきて、
助「さかなさん、壁紙の小さな木、見えますか?」
私「はい・・・見えます」
助「この木が見えなくなるくらい痛くなったら分娩室に来て下さい」
え?木が見えなくなるくらい痛いってどんな痛み?と思っていたら。本当に痛いんです。痛みで目がかすんで、木が見えなくなるんです。腰をさすってもらうと少し痛みが緩むんですが、最後のほうはさするんじゃなくてこすりあげてもらわないと効かないくらい痛い。握っていたタオルを食いちぎるくらい痛いです。
 ようやく分娩室でいきむこと数分。元気な産声を上げて長男が生まれてきました。産湯につかってオムツをあてて(この時看護婦さんにをかけたのはご愛嬌?)産着を着て私のところに来た時はやっぱり涙出ました。
 この子としばらく離れ離れになるのは、この1ヶ月後のことです。

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備忘録───妊娠するまで

  posted by さかな at 22:06:51 │EDIT
 ネタが無い時はこの備忘録を書いていきます。平凡な人生ながら、山や谷がありまして・・・。

 結婚した当初から、2人共に「子供が欲しいね」といってました。避妊しなければすぐに出来るだろうと軽い気持ちでいたのですが。
 1ヶ月目。そんなすぐにはできないだろう。
 2ヶ月目。タイミングが合わなかったのかな。
 3ヶ月目。そろそろ出来てもいいのに。
 4ヶ月目。周りは次々妊娠してるのに・・・。
 5ヶ月目。おかしい。絶対おかしい。不妊症?
 一度不妊症かと思ってしまったら、本当に子供が出来ないような気がして毎日不安でした。自分の気持ちをあざ笑うかのように、毎月毎月定期的に妊娠していないことを示すものがくる。自分のお腹を泣きながらガンガン叩いたりしましたし、旦那に申し訳なくてワンワン泣きついたこともありました。周りの友達が、私たちが結婚した頃から「子供つくろうかって話してるの」と言っていて、実際次々と妊娠してました。主人の義理のお姉さんまで3人目を妊娠し、周りはそうじゃないかもしれないけど「まだ子供出来ないの?」という目で見られているような気がしてなりませんでした。
 8ヶ月目。初めて定期的に来ていたものが遅れました。私は「子供が出来た!」と喜び、旦那にも自分の両親にも「出来たかもしれない」と報告していました。ところが、ただの1週間遅れ。あの天国から地獄に落とされたような感情は今でも忘れません。もう12月でした。
 旦那のクリスマスプレゼントを買った帰り道、不意に閃いたのです。「水天宮さんにおまいりに行こう」と。「水天宮」さんはちょっと隠れたところにあり、小さな社なんですが「願い事を叶えてくれる」と地元の人の間では有名なところでした。場所も分からないのにそこに向かい、結局何度もたどり着けず、時間だけが過ぎ・・・。これを最後にしよう、この道で間違えてたら諦めて帰ろうと思ったら、不思議と今度は迷わず、無事にたどり着けました。そこで今度こその妊娠をお願いし、1人満足して帰路につきました。
 いつのことだったかは忘れてしまいましたが、夢を見ました。車の運転席の後ろに私。助手席の後ろに旦那。助手席から誰かが白い産着を来た赤ちゃんを私たちの方に差し出し、私と主人がその子供をあやしているという夢でした。
 年が明けて1月末。旦那と岡山方面へ旅行に出かけました。チボリ公園で遊んでいるとき、今までは絶叫マシーンとか大好きだったんですが、載った途端にグルグル目が回って気持ち悪くなり、全く乗れず。ちょうど月に一度の日のはずでしたが来てませんでした。「どうせまた遅れてるだけだろう」と気にも留めませんでしたが。。。温泉旅館で1泊したあと大阪の「フェスティバルゲート」でまたまた絶叫マシーンに載りまくり、満喫して帰ってきました。
 2月になってもまだ来る気配がなく、ついに我慢しきれず会社の近所の薬局で妊娠検査薬を誰にも内緒で購入。会社でやってみたら陽性。ひょっとしたら検査薬が間違ってるかもしれないと期待する気持ちを押し殺し、今度は旦那と一緒に検査薬を購入。結果が出た検査薬をブンブン振り回し(笑)、旦那に見せたのは言うまでもありません。
 それから二人一緒に産婦人科に行き、お墨付きをもらってから旦那に産婦人科の前で写真を撮ってもらい(笑)、プリクラを取り捲り、出産予定日入りのカレンダーをつくり・・・。

 まだ写真はとってあります。カレンダーは捨ててしまったけど。ここまで読んでくれた方、ありがとうございました。

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ぽちっとな
お月様
プロフィール
HN:
さかな
性別:
女性
職業:
事務職
趣味:
阪神タイガース
自己紹介:
 悪がき2人のお母さん、頑張ってやってます。息抜きはタイガースの応援。よろしくお願いします!
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